松葉ヶ谷雁信

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少欲知足

先ずは 5月18日に遷化された当別院第十二世小川如洋先生のご葬儀が6月30日に無事に行われたことを報告したいと思います 日本から約50人のお坊さんやメンバーの方が参加し 日蓮宗の各教会の代表も集まりましたし ハワイ仏教連盟各宗派の代表の方も来て下さいました このお寺のメンバーを含めた地元の参加は 150人ぐらいだったでしょうか 先生の業績を讃え その死を本当に悲しむ人がたちが集まり 追悼の誠を捧げたとてもよい式でした

あるメンバーが これほど多くのお坊さんが参加し しかも泣いているお葬式は見たことがないといっていました お坊さんだけではなく 一般の方も多くの人が涙を流しました いろいろな事情で来れなかった方も多くいたようですが 少なくとも集まってくれた方々は本当に先生の死を悼んでいました

いろいろな事情でお葬式にお参りできなかった方も多かったようですが 今日お参りしている方の中にもお葬儀には参加できなかった方がいるかもしれません そこで もう一度小川先生の伝言についてお話したいと思います 5月7日に病床の小川先生にお話を伺いました いろいろなことを話されましたが その中で特に強いご依頼があったのが メンバーの皆様へのご伝言でした 小川先生は メンバーに謝意を伝えて欲しいといわれました 成すべきことを全て成し終え 思い残すことはない 特にこの2年で心を落ち着けることができた 幸せな気持ちで化を遷すことができるといわれました これが小川先生の皆様への最後のメッセージです

小川先生のご遺言で簡素な葬儀にしました しかし 多くの方が来られることになり 式の内容は簡素でありながら 参加者の多さから盛大な式となりました 先生もきっと参加者の多さに驚かれたことでしょうし それ以上に喜ばれたことと思います ただ 多くの人をお迎えするためにいろいろな準備が必要となりました 多くの人が志願していろいろなお手伝いをして頂きました 本当に有り難く思っています 式そのものもさることながら 多くのメンバーに支えられたことが小川先生にとって喜びであったと思います 

小川先生のご遺骨は 少し早かったのですが7月2日に49日忌法要を営んだ後 分骨され その大部分は本堂脇の永代供養塔に納められました このお寺の行く末を永代供養塔から見守って頂くことになりました 小川先生にお世話になった方は お寺に来た時は永代供養塔の前で合掌し お題目をお唱えして下さい きっと小川先生はお喜びになります 昨日は 49日忌に当りましたので 正式なお位牌を開眼しました 納骨堂に納められていますので 後でお参りして下さい 尚 分けられたご遺骨は 身延山と岐阜の御自坊に納められる予定です

ところで 話は変わりますが いいお話を聞きましたので皆さんにご披露したいと思います それは煩悩に関することです 私たち人間は様々な欲を持っています その欲のことを煩悩と呼びます 私たちが普段使っているお数珠 お数珠にいくつ玉が付いているかご存じですか?お数珠には108個の玉が付いています これは 本来読んだお経の数を数えるために使うものなのですが それが何故108という中途半端な数かというと それが私たちの煩悩の数といわれているからです つまり 私達は108もの煩悩を持っているというのです 信じられますか?きっともっと持っていますよね

さて そのお話にはこのように書かれていました 煩悩は 残念ながら生きている限りなくすことはできないそうです 死ななければ煩悩は無くならないそうです 煩悩を悪いもののように考えますが 私たちが生きていくということは生命欲という煩悩があるからです 逆にその煩悩がなければ生きていくことはできないのです ですから 煩悩が悪いのではなく その煩悩の処理の仕方に問題があるのです 欲しい 憎い 可愛いなどといった煩悩のままに動いていたら人間は自滅してしまいます ですから その煩悩をコントロールしてよい方向に転じるようにするところに 真実の生きがいがあるというのです 煩悩をなくすことはできませんが コントロールすることはできます コントロールされた煩悩を持つことが理想の人間のあり方なのです

このような話を聞いて 私はその通りだなと思いました 例えば お酒を考えて下さい 大人になればお酒を飲む機会もあります お酒は気持ちをリラックスさせ 楽しい気分にしてくれます しかし 飲みすぎると気分が悪くなり 思ってもみないことを口にしたり行なったりします 最悪の場合は命すら失うことになります これはお酒が悪いのではなく お酒をコントロールできない人がよくないのです コントロールさえできれば お酒は血行をよくするという効能もあり悪いものではありません その他 薬を考えてみて下さい 私は以前お医者さんに教えられたことがあります それは 全ての薬は毒である 毒であるから正常な時は飲まない 病気になるということは 体の中に毒が入り悪さをしているということ その毒を制するために別の毒を使う これが薬なのだそうです ですから 薬とは コントロールされた毒ということが可能だと思います 逆に言えば 毒もコントロールすれば薬になるということです

皆さんお手元の法華経を開いてみて下さい 340ページ 第1段落の下から2行目に 「少欲知足」と説かれています この教えはとりもなおさず 欲をコントロールすることを説いたもので 欲を失くせといっているわけではありません 素晴らしい人の特徴として欲が少なく足ることを知っているといわれているのです ではどのようにしたら素晴らしい人に成ることができるのでしょうか それはお題目をお唱えすることです 

お題目は お釈迦様最高の教えである法華経の全てが含まれています お題目をお唱えすることにより それが全て私たちの口を通り 体を通り 心に入っていくのです だから お題目をお唱えすることにより 少しずつ煩悩をコントロールすることができるようになり 理想的な人間に近づくことができるのです

人は煩悩に満ちた存在です しかし それをコントロールすることにより 理想的な人間 永遠に完全に幸せな存在 つまり仏様に近づくことできるのです そのことを可能にするのがお題目なのです 忘れることなく しっかりとお題目をお唱えして下さい

2014年7月6日