松葉ヶ谷雁信

Scroll

清正公祭

今日は 清正公祭並びに先師会を営みました 清正公祭りの清正公とは加藤清正公のことで 祭りとは特別な行事を意味しています 加藤清正公を私たちの信仰のお手本として尊敬し その遺徳を讃えるための特別な行事が 清正公祭りなのです 私は 何故それが6月に行われるのか忘れていました 調べてみてすぐにわかりました それは 清正公が 1562年6月24日に生まれ 1611年6月24日に亡くなっているからです 誕生日に亡くなった人はあまりおらず 珍しいといえます ですから 清正公を信仰する人にとって6月24日は特別な日であり 特別行事が6月に行われるようになったと考えられます

もう一つの行事である先師会は このお寺の住職を中心にして ハワイに縁のあったお坊さんの菩提を弔うための法要です 今回から小川如洋先生のお名前が加わったことはとても悲しいことです 6月30日(月)午後3時からお葬式が行われますので 是非お参りして下さい

さて その葬儀について少しお話をしたいと思います 葬儀についてはいろいろお話したいことがあるのですが 今日はお坊さんと一般の方の葬儀の違いについてお話したいと思います お坊さんの葬儀と一般の方の葬儀の一番の違いは その目的が違うことにあります 一般の方の葬儀は 迷わないように最後にもう一度仏様の教えを伝え 信仰を確固たるものにして安心させ 仏様にお導き下さいとお願いすることが目的なのです 教えをもう一度伝えることと仏様にお願いすることを引導といいます 引導を亡くなった人に渡すことが日蓮宗の葬儀の目的なのです

これに対し このハワイで大きな勢力を持っている本派本願寺などの教団が行う葬儀では引導を渡すことはありません それは 私たちが住んでいるこの世は汚れた嫌な世界で 阿弥陀様が住む西方浄土に亡くなってから行くことが幸せという教えなのです ですから 亡くなることは悲しいことではなく むしろ喜ぶべきことなのです

話が横道にずれましたが お坊さんの葬儀が一般の方のものと最も違うところは 引導を渡さないということです 引導を渡さないという意味では本願寺等の葬儀を同じように見えるかもしれませんが その理由は全然違います それは お坊さんは仏様の教えを勉強し修行し そしてそれを伝えてきました 仏様に代わって教えを説いてきたのです ですから お坊さんに対して もう一度仏様の教えを説く必要はないのです 出家の時に全てを仏様にお任せしますとお誓いしています ですから 改めてお願いする必要もありません このような理由で お坊さんに引導を渡すことはありません 引導を渡す代わりに お坊さんの場合は歎徳というものがあります 歎徳とは 法要中に行われるもので お坊さんの徳やその功績を讃え 亡くなられたことを歎くということです 今度の小川先生の場合は 大導師をお勤め頂く本山藻原寺貫首持田猊下が歎徳をして頂くことになっています

先程 本派本願寺などの教えでは 人の死は嘆くことではなく むしろ喜ぶことであることを説明しました お坊さんの場合はどうでしょうか 日蓮宗の教えでは この世でのお坊さんの仕事は法を説くことです お坊さんが亡くなるということは 法を説く場所をこの世からあの世に変えることと考えます 俗な言葉で言えば 転職をするということです ですから お坊さんに対してはお位牌にも 最初に『遷化』つまり教化の場所を変えると書くのです 一般の方は お位牌には最初に『妙法』 南無妙法蓮華経を短くした言葉を書いて 違いがあります

目的や教義の違いで葬儀は大きく違います そのことにより 葬儀が難しく考えられることになっているのかもしれません しかし 亡くなって人を思う気持ちは同じで そのために私達は何をすべきかを検討した結果といえるかもしれません 皆さんはどのように弔ってほしいですか?誰に弔ってほしいですか?

2014年6月8日